
うんこ。接頭が「う」の言葉がこれしか浮かばなかった僕も僕なんですけど、非常に汚い話になる予感がしてます。苦手な人は避ければ良いと思うんですけど、案外皆この手の話題が大好きなんで心配はないかも知れません。
何故だか、子どもは「んこ」言葉が大好きです。その三種の神器を巧みに操れば、半分以上の幼稚園児の心はつかめたといって過言ではありません。本来は三種とも非常にデリケートな部分を小突く禁句ワードなはずなんですが、あまのじゃくな子ども達はそれを知っての上で好んで使っているのです。
僕が幼稚園児の頃なんか、無意味に叫びながら走り回るという全く意図の分からない愚行もしばしばしてました。ホント頭悪過ぎです。
幼稚園で飼っていたアヒルがうんこするところを凝視してみたり、道ばたにうんこが落ちていたらわざわざ友達を家まで迎えに行って一緒に眺めたり、時にはそれを紙で包んで投げたりもしてました。なんか、アラレちゃんみたいですね。
最近の僕が日常でうんこと触れあうといえば、ペットを飼ってもいるわけでも、隠し子が居るわけでもないので、基本的には自分の生産物のみです。あの、まあ、触れあうっていうのも、気持ちが悪い表現なんですけど。
昔はあんなに好いてくれていたのに、最近では私のこと、ちっとも見てくれないのね。
人の気持ちは脆くて儚いものですね。むしろ、うんこに対して何の期待もしてないので、出来れば生産したくもないです。
それにも関わらず、ごく稀にトイレではない場所でうんこと遭遇したりします。大きさからいって犬とは思えないし、汚れたティッシュが包まって落ちているし、確かに人目につかなそうなところだし。ま、さ、か。
わざわざ公園のベンチとかでしなくても良いと思うんです。公園内にトイレとかあるじゃない。ローソンでトイレ貸してくれるじゃない。どうしてこんなところにするの。うわあ、もうベンチなんて信用出来ないよう。
つまり。状況からして明らかに愉快犯なんです。
自分がうんこを放置することで困る人々の顔。においを嗅ぎにくる馬鹿な犬。平和な公園に一石を投じた偉大な自分。犯人の変容した自己顕示の醜態なのかも知れません。
今日、そのベンチでカップルが何も知らずにいちゃついてました。知らない方が幸せなこともあるようです。
なんでも人間の排泄物には摂取した栄養の70%以上が残っているらしいです。いつ、誰が、何のために、どうやって計測したのか知りませんけど。
あ。もしかして食おうとしてたのかも知れない。
「これ、なんか、カレーっぽくね?」とかいって。阿呆ですか。
一見、馬鹿馬鹿しくも思えるうんこの研究なんですけど、実はこれって今後の人類の生活の上で最も重要な課題の一つなんだそうです。将来、宇宙ステーションで生活したり出来るようになった時、密閉された空間でうんこをどれだけ効率良く処理するかっていう課題らしいです。
有効活用の一貫として、排泄物から有害な部分だけを取り除いて食うための研究をしている人なんかもいるそうで。やっぱりね。食おうとしてたんだ。
確かに大切な研究なのかも知れません。でも、もし家族がその研究員だとしても口が避けても人には言えないじゃないですか。
「俺のおやじなーうんこを食う研究してるんだぜー」
「うちのお父さんたらね、うんこを食べて食中毒起こしたのよ」
「うちの主人、うんこ臭いのよ。凄く」
絶対、いじめ、破局、村八分ですよ。うんこの被害者。
でも、もしこの実験が成功して食えるうんこが現実のものとなったら。
やっぱり製品として市場に出回るのでしょうか。再生紙100%のノートが販売されているのと同じ原理で。
やっぱり腐ったりもするんでしょうか。ヨーグルトとか納豆や豆腐が腐ったりするのと同じ原理で。
納得がいきません。
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